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人と繋がるツールを賢く使う [社会が気になる日]

昨日、1ヶ月以上ぶりにヨガに行ってきた。“NON LEVEL”と書かれていたレッスンを取って参加してみたところ・・・

驚くほどにハイレベルだった((+_+))

みんなありえないほどに身体を曲げて、ありえないポーズをとってるし(^_^;)

必死でついて行こうとしたけど、初心者の私にはむり~((+_+))

おかげでその後すっごい疲労感、そして今日かなりの筋肉痛。。。

初めてのクラスは、ちゃんと確認してとらなあかんな・・・(-"-)

そういえば、最近mixiって聞かなくなり、代わりフェイスブック利用者が増えてきた。(最近はフェイスブックからツイッターへ移行する傾向にあるらしいけど)

これまでのmixi利用者がフェイスブックに移行してきたようだけど、フェイスブックがあまり知られてないころからフェイスブックに登録していた私としては、ここ最近の急激な知名度の上昇にビックリ。

もともと、短期留学先で知り合った人との繋がりの場として活用(といってもほぼ放置)してたけど、ここ最近のウォールは旧友の近況報告報などなど・・・。

それにちょっと怖いのは、どうやら自分の携帯のアドレスにも同期してる??らしく、自分のアドレスに入っている人がフェイスブックをしている場合、「この人知り合いでは?」とご丁寧に教えてくれる・・・。大学の先生方の名前が出て、ちょっとドキッとするときがある(笑)

ブログと何が違うのかというと、

実名ということ。

そして、ブログのように“見に”いかなくても、自分のウォールに記事が載るので必然的に個人の記事が見れるということ。

こういうツールがどんどん普及し、もう名刺交換と同時に「フェイスブックしてますか?」という言葉がつき、いろんな人との交流を増やせる(深めるかは別にして)ことはプラスとしての側面を持つと思う。

一方でマイナスな側面も多い。どこまで自分をさらけ出すのか、どこまで公表していいのか、考えて賢く使わないと面倒なことになるかもしれない。

実際に、これで人間関係が悪くなったという場合もあるとかないとか・・・。mixiの足跡機能のときもそうだったけど、フェイスブックのniceを押す機能が、義理人情に熱い日本人には合わないのではないかという指摘もある。

私はやっぱり、ブログの気楽さといいますか、緩さといいますか、そういった感覚が好きなので、フェイスブックよりもブログのほうが制約やこだわりなく記事が書けるのですよね。

職場で知ってたりする人に見られることが、すごし恥ずかしいこともありますが(^_^;) 

一昔前は会えない人とは文通や電話を通しての繋がりが主流だったのが、こんな風に“人と繋がるツール”が多様化して、ある意味、人と繋がりながら縛られていることってあるんじゃないかとも思ったりする。

でも、人間ちょっとした束縛感って快感な場合もある(笑)。所属愛といいますか、何かに所属している、その一部であるという安心感が、自分が何者であるかというアイデンティティの確立に少なからず影響を与えていると思うのです。

マズローの欲求段階説でも「所属」は人が求めている欲求として位置づけれらているくらいですから。

でも、特にここ最近の傾向として、この『所属欲求』が増しているようにも感じるのは気のせいでしょうか??もしかしたら、人ってどんどん『孤独感』を感じるようになってきているのではないか、とも思うのです。

孤独感を補なうために、『人と繋がるツール』を通して、何かに所属している安心感、誰かに知ってもらっている安心感を得て、寂しさを紛らわしているのでは・・・と。。。

ほら、使わなくなったペンギンの羽が退化したりするのと一緒で、もしかして元々『孤独感』に耐える術を持っていた人間たちが、こういったツールによって耐性が弱くなり、さらにツールに頼るようになる・・・といった感じ。

考えすぎといえば、考えすぎなのですがね(^_^;)

ま、ま、要するに 『道具は使う自分次第でどうにでも使える』ということですよね。それは、物理的にも、精神的にも・・・。

わたしとしては、楽しい時間を共有できる仲間と繋がっていれるように、うまく使っていきたいなぁと思うのです(*^_^*)

そういえば、フェイスブックに載せてた友人の記事に驚いた。。。

その子の一日のスケジュールが書かれてたんだけど。。。

夕方16時からからがすごかった((+_+))

次男のゴルフレッスン→長男そろばん→長男次男スイミング→長男次男ピアノレッスン

こ、これ学校終わって一日ですべてやってる子どもたち・・・すごい体力、精神力・・・

最近の驚き記事でした(^_^;)

さて、次の記事は『恋愛成就で有名な神社』にいったお話でも(^^♪(随分前ですが)

DSC_0030_R.JPG

『大吉』だったのでね!(^^)!


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震災から16年たったのか・・・ [社会が気になる日]

阪神淡路大震災から16年。

もうそんなに経ったんだなぁ・・・。

16年前、私は成人式を終えて実家から大阪に戻り、確かその次の日の出来事。

その朝、看護学校の寮にいた私は大きな揺れを感じて目を覚ました。

二人部屋だったのに、隣で寝ていた同級生はすでに逃げてた・・・。

声かけてよ~って思ったけど、あまりの怖さに飛び出したらしい・・・。

 

幸い私のいた地域はそんなに被害はなかったけど、従姉妹の家は全壊。

生きていたことが奇跡だった。

ライフラインも寸断され、なかなか繋がらない電話に不安が助長されたのを思い出す。

テレビの画面には、負傷者がどんどんカウントされていく様子が表示され、戦場さながらの風景が映し出されていた。

3ヶ月後、春休みで実家に戻るにも新幹線はまだ不通で、乗り換え輸送のために変わり果てた街並みを絶句しながら歩いた。

不本意に命の火を消された人がたくさんいる。

 

あれから16年。随分昔の出来事のように神戸の街もすっかりきれいになったけど、この日がくると気持ちが昔に戻る。

きっと、今日はあの日に帰った人がたくさんいるだろう。

あの日から気持ちが動いていない人もきっといると思う。

 

今を生きれていることは奇跡。大切にしないと。。。

 


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看護師の役割って・・・? [社会が気になる日]

 

ナースプラクティショナー。

TVや新聞でもちょこちょこ取り上げられてて、医療者じゃなくても耳にしたことあるって人、増えてきてるんじゃないでしょうか?

さて、この“ナースプラクティショナー”ってやつ。簡単にいえば、医師の代わりに“診断、処方、投薬”を行うことができる、という専門的知識を持った看護師のこと。

アメリカでは主流で、開業ができる州もある。

そもそも、ナースプラクティショナーができたのは、アメリカの高額医療を受けられない人のためや、医者のいない過疎地での医療提供、医師が医師の仕事に専念できるため、であったりするわけですが・・・

最近、この流れが日本にも。。。。

って・・・この流れ、賛否両論なわけです。

例えば、それは準医師を作ってるだけだ、とか、役割が曖昧だ、とか、いや看護師の質の向上になる、とか、専門性の高い看護師が育成される、とか、過疎地の医療に貢献できる、とか、一体どこまで看護師にやらす気だ、とか、、いろいろ。

 

私の個人的な意見として、あくまで個人的な考えですが・・・

今の日本の医療現場の状態から考えて、無謀というか・・・またアメリカのマネするのね・・・なんてちょっと冷めた目線で見てるのです(^_^;

 

なぜって・・・日本とアメリカでは、看護師や医師の役割の位置づけが曖昧で、“何でも屋”のような仕事をしていることも多々あるからです。

アメリカは看護師、医師、ヘルパーの仕事の位置づけがしっかりされ、その中で医師でなくてもできる仕事は看護師に、看護師でなくてもできる仕事は助手へ、ときっちりと分けられているとか。(アメリカで働いたことないので、読み物からの知識だけですが)

しかし、日本はどうでしょうか。大学病院のような大きな病院ではそれなりにしっかりとした位置づけがなされているのかもしれませんが、きっと7割、8割の病院で“何でも屋”のような仕事もしながら、働いていると思うのです。

一般病院の看護師は多くの仕事を抱えています。 

器具の洗浄、ベッドメーキング、入退院の準備、入院オリエンテーション、他科へのカルテ出し、他科への患者さんの送迎、清拭、入浴介助、オペ・検査出し、オペ・検査迎え、看護計画立案、評価、看護記録、薬剤の管理、配布、注射の作成、施注、オペ後の管理、処置の準備、介助、器具片づけ、患者教育、勉強会、看護研究、委員会、新人教育、学生指導、クレーム対応・・・・その他もろもろ・・・

さて、この中で一日でこなさなくてはならないことがどれほどあるか。

経費削減のあおりを受けて、看護助手の数を減らされたりして、看護師がしなくてはならない業務が増えたり・・・・、“看護の質を高める”なんて躍起になっていろんなことに手を出したり・・・。

“看護とは、「気づかい」である”と言われるけれど、その気遣いができる環境にはたしてあるのだろうか。

もちろん医師も大変な仕事量を抱えていると思います。外来診察、オペ、入院患者治療、研究、論文、学会、そして当直・・・。

ここら辺が大きくアメリカと違っているところなのではないか・・・?

 

ナースプラクティショナーは、それはそれでいい職業だとは思いますし、やりたいと思う人は目指したらいいと思いますし、それが医師のいない僻地の医療に貢献できるなら、それはすごくいいことだと思います。(日本でできるかどうかは別にして・・・)

でも、そもそも『看護』ってなんなんだって思ったりもする・・・だって、診断や治療がしたくて看護師になるわけじゃないだろうに・・・。

ナースプラクティショナーの役割は、忙しい医師に代わってゆっくり患者さんの話に耳を傾けて接することで、信頼感が高まったり、安心感を与えたりすることにもつながる、ということも言われてますが。。。

 

ただ、もしこの制度が日本で受け入れられようとするのならば、制度うんぬんより前に、“看護師が看護師の仕事に専念するため”に、もっと『整備』が必要なんじゃないかと思うのです。ごちゃまぜの曖昧な位置づけのままでは、どんどん差(病院間や看護師間の)が広がることになるし、結局このままじゃ、ナースプラクティショナー育成のために!・・・とかいろいろ掲げても、賛同も得られず、「診断や治療がしたけりゃ医学部に編入しなおしゃいいやん」ってことになり兼ねないと思うのです。

今でさえ、受け入れがたいこの制度。“一体何がしたいんだ”と思ったりもする・・・。

私があまり受け入れられないのは・・・やっぱり“看護”って何なん?って思ってるからです。

そもそも、療養上のお世話をするため、の看護師じゃないのか??

 

 

多くの看護師が、今でも“仕方ないけど、これが当たり前”だと思ってやってることって多いと思うんですけど、でもこういうことが結局ストレス蓄積させて、バーンアウトしたり、仕事イヤイヤ病発病しちゃったりするんじゃないでしょうか・・・・?

離職防止のために組織改革!とか当たり前のこと言ってても、結局状況はあまり改善せずで・・・(よくなってもすぐ悪くなる・・・)、行きつくとこは“ストレスコーピング行動力!”なんて、自分で対処できるようになれ的なことを言われたりして・・・・

いやいや、それよりも、もっと位置づけはっきりさせて、それぞれがそれぞれの仕事ができるように改善することが先なんじゃないかと思うのです。なんだか、今“ややこしい”ことが多いです(笑)

 

結局のところ、今の医療を支えてるのは、専門を掲げてる看護師ではなく、“何でも屋”のような仕事を日々こなしてる医師や看護師じゃないかと思います。誤解を招いてはいけないのですが・・・もちろん、専門看護師も大学院で専門教育を受け、研修もして、しっかりとこれからの医療に貢献していける逸材だと思いますが、これはまだマイノリティーであるわけです。当たり前やけど。

土台を作ってくれているのが、日々一生懸命病院で働いている人たち。その人たちがいるからこそ、専門看護師が専門看護師として仕事できるわけです。

ナースプラクティショナーも、やっぱり土台がしっかりしてないと難しいんじゃないかと思うのです。特に、本来看護師の仕事だと思われる部分から逸脱した行為をすることになるわけですから・・・。

“専門”という名札を意味あるものにするために、もう曖昧な世界ではやっていけないところまできているのではないでしょうか・・・?

新しいものを取り入れたらブームにはなりますけど、それが存命できるかどうかは、さて・・・今のままではどうでしょね。。。

 

あ、ちなみに私は看護師の質の向上うんぬん・・・があまり好きではないので(質が低いと思う人は思ってたらいいんじゃない?と思ってるので・・・笑)、看護師の質の向上のためにって旗あげてるのには、どうもついていけません(^_^; 逆に「これが“質の向上になるで~”」と餌をまいてる親分にシッポふって芸してるようにしか今は思えないのです。。。

カラクチでおこがましくてスミマセン(=▽=;

 


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患者と医療者の関係の難しさ [社会が気になる日]

 

この連休で、私は実家に帰ってました。

というのも、父方の祖母の調子もあまりよくなく、ちょっと顔を見るために・・・と。

祖母は酸素とモニターをつけていましたが、まぁなんとかしゃべってたし、とりあえずはお見舞いができてホッとしました。

その近くに、母方の祖父も入院しているため、祖父のお見舞いにも行ってきました。ウトウト寝てることが多いみたいだけど、その時はしっかり起きてテレビみてたし、ボソボソながらもちゃんと喋ってました。まぁ88歳ということもあり、たまに名前が出てこないことはありますが、しっかりしております。

そんな祖父の話ですが・・・

先日、母がお見舞いに行った際、祖父が「(おむつ交換の時に)叩かれた」と言ったらしく、二人部屋の隣の人も、カーテンを挟んでたので詳細はわからないですが、そのスタッフの対応の悪さを指摘していました。

母は、その場を見てないので真相は定かではないけれど、とりあえず看護師さんに「父が叩かれたというのですが」と伝えたそうです。そのあとに、看護師長がやってきて、「そういう対応があったのなら、それはあってならないこと。申し訳ありませんでした。そのスタッフに聞きます」と言ってきたそうです。

そのあと、その張本人が登場。オバチャン看護助手らしいですが、「私は叩いてません!痒いといって、おむつ触ってるから、そんなことしたらダメですよ、と手をとってパチパチとしただけです。」と反撃・・・。

しかし、祖父の話を聞くと、「叩けるものなら叩き返してみぃ(みろ)」と言われた、と言うじゃありませんか・・・。

ボ~ッとしているようには見えますが、割とちゃんとしている祖父。それを聞いた母は怒り心頭ですが、なにせその現場を見てないうえに、その看護助手は「言ってません!」と・・・。それより「私はくそばばぁと言われました!」とさらに反撃。

そらな・・・患者さんの一人や二人に、「くそばばぁ」と言われることもあるさ・・・。そんないちいち目くじら立ててたら、医療者なんて務まりません・・・。一体、何年看護助手をやってるのかわりませんが、そんなことを言われるのにいちいち怒ってたら、神経持ちませんし、余計に“くそばばぁ”になっていきます。

うちの母は、「前の病院では、うちの父は一切そういう言葉は言いませんでした」と暗に対応悪かったから、くそばばぁと言われたんじゃないでしょうか、ということを匂わしながら、伝えたらしいですが・・・(^_^;とはいっても、昔から頑固ジジィだった祖父。まぁ憎まれ口の一つでも叩いたんしょう。

結局のところ真相わからず・・・

しかし・・・何より腹立たしいのは・・・後日、院長との面談に行った母が、院長から言われた言葉。。。

「先日、トラブルがあったみたいで・・・。こちらも、そんなことを言われるのは心外です。」

だって・・・。

は~~~~?それは・・・もし思ってても、言ったらいけない言葉だと思いますけどねぇ・・・。

嘘でも、「すみません」の一言でもあれば、家族としても平穏な気持ちでいられるものを・・・なんという上から目線。。。それを直接言われた母の気持ちを察すると、どうにも腹立たしい気持ちになります。

確かに、働いているといろんなことがあります。患者さんに物を投げられたこと、暴言吐かれたこと、叩かれたことなんて、数知れずです。そりゃ、人間だもの、イラっとはします。「私が何したの~」と悲しくもなります。そんなときこそ、自分が今、医療従事者だということを立ち止って考えなくてはならないと思います。時には演じることも必要なのです。

まぁきっと、その看護助手、“せっかくキレイにおむつしてんのに、勝手に触って、汚して、こっちの仕事を増やして~!”っと思ったんでしょう。叩いてないというなら、叩いたと誤解されるようなことをしちゃいけない。

数日後・・・うちの祖父は別の病棟へ移動となりました(=_=;

 

人間社会、どこにでもトラブルはおきます。人間関係がそこに存在する上で、トラブルのないことなんて、まずないでしょう。

そんな時こそ、今まで生きてきた中で培った知恵を出す時だと思うのです。

私自身、まだそれが十分だとは思いませんが・・・

もし、そんなつもりはなくても相手に不快な思いをさせてしまったなら・・・その時は、もう一度自分を見つめ直せるいいチャンスなのです。

人を不快にさせるのは簡単。けれど、人を幸せな想いにさせるのはかなり大変なこと。

そういうチャンスを、無駄にしちゃいけないと思うのですよ。。。

 

結局のところ、その看護助手のオバサンやそこの院長が、祖父や私たち家族のことをどう思っているか知りませんが、へこんだり怒ったりするだけでなく、もっと「生かす」努力をしてほしいものです。

 

余談ですが。。。

私が以前バイトをしたことのある病院でも、患者さんに叩かれたら叩き返していた場面をチラリと眼にして驚愕したことがありますが・・・

そこは、かなり忙しく、患者さんも暴言を吐かれる人が多い病棟で、人はこうやって変貌していくのか・・・と思ったことがあります。環境が人を変える、とはこういうことなのか、と。

今、大学で生活環境心理学を受講してますが、改めて環境と心理は密接な関係にあると感じております・・・。

 


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ラポールが希薄化してない!? [社会が気になる日]

レポート用紙10枚といわれたレポートの提出も終え、残すは英語論文要約のみ・・・・!ってこれが一番きついんだと思うけど(^_^;

夏休みは後1ヶ月あるんだし、大丈夫でしょ~と安心してもいられない。。。

夏休みってものは、小学生のときだって、今だって感覚は変わらない。

「えっっ!!もう終わり!??」ってくらい早く過ぎ去っていくのですから(^。^;;

 

最近、救急外来夜勤バイト続きで、私の体内時計も狂いまくりのような気がします。。。

特に深夜勤務を連続すると、いつ私の頭は起きてるのか、よくわからないんですよね。

生活リズムってのは大切ですね。夜勤するたびそう感じます。

 

このところ、夜勤も救急車対応が多かったりしたのですが、お盆あけてすこ~しマシなのかな。

最近では昔のようにやたらと「たらい回しか~~~!」と叫ぶ方も少なくなりました。。。

メディアの報道が下火になってきたからでしょうか・・・。

きっと病院の対応は変わってないはずなのに、、、メディアの報道威力はスゴイなと思いますね。

今じゃ、ネット書き込みなんてザラ・・・ネットの書き込みを100%信じてはいられませんが、グルメ情報だって“クチコミ欄”があって、それでランキングまでついちゃうんだから。。。(よく愛用してますが^^;)

病院だって同じですね。サービス業じゃないのに、病院は“サービス業”化してると思います。

私は、このサービス業化が患者さんと医療従事者をどんどん離してると思ってるんですよね。

病院も形にこだわって、人と人との結びつきを希薄にしてるようにも思えます。

セカンドオピニオンや、インフォームドコンセントってものは当たり前の世界ですが、もしかしたら昔のほうが医療従事者と患者さんの距離は近かったのかもしれません。

一概には言えないですが・・・

私が患者さんの立場なら、なんだか気楽に(っていったらいおかしいけど・・・)病院に行けない世の中になっちゃたようなそんな気がします。

なんか遠いんですよね。距離が!

医者も看護師もなんとなく雰囲気が変わったようにも思えます。頭が機械仕立てになってるような医療従事者が、皆さんの周りにも多いんじゃないでしょうか??

距離が遠いっていうのは、どちら側にとっても不利な状況を招いてます。

医療者側から考えてると、患者さんから受ける暴力なんて、ある程度は耐えなきゃいけないような、そんな考え方、多いと思います。今でこそ、またまたメディアが取り上げたために、少しは対応が改善されてると思いますが・・・。どこまでそれに耐えなきゃいけないのかなんて“暴力”について考えてる時点で、距離は遠いですよね。

とにかく関係性が悪くなってる。

“病院の信用がなくなってきてる”ていう表向きの現象も、元をたどればサービス業化してしまったためにラポールが弱くなってきたからなんじゃないかと思うことがあります。。。

もちろん、サービス業的考え方も時には必要です。けど、なんか偏ってる。

ん~~なんだか頭でっかちの世の中になっちゃってますよね。

頭でっかちの世の中で育ってきた人間もまた、頭でっかちで・・・。で、また頭でっかちな世の中を作ってしまうっていう・・・そんな連鎖?がこれからも続いちゃうのかなと思うと・・・かなし~~~です。

こういう状況って、教育現場にも起こってると思います。

教育現場で働いたことはありませんが、「モンスターペアレント」なんて言葉が流行る自体、なんだかおかしくなっちゃってますよね。いったい誰がモンスターなのかなんて、もうわからないと思います。

 

そもそも、テリトリーにこだわる人間の習性が、社会の変化によって悪い現象として表れてるような感じ。。。

そんなこといってる私も、“テリトリー習性”によって固定観念を強めてるのですが・・・(^_^;

 

ちなみに、ラポールとは“親和関係”とか“共感的関係”っていう意味があります。

 

 

 


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